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自然保護の観点から平成時代をふり返る
文=葉山政治(自然保護室長)
①平成に入ってすぐに行なわれた長崎県諌早干拓の水門閉め切り
②3ランクもアップしたシマアオジ 写真/宮本昌幸
③世界に500羽もいないヘラシギ 写真/戸塚学
昭和は、高度成長と開発の時代
平成に先立つ昭和の後半、高度経済成長の時代には、各地で埋め立てなどの巨大開発により干潟などの自然環境が失われました(図1)。また、道路建設や工業団地の造成なども相次ぎ、公害問題も取りざたされました。本四架橋や関西・中部国際空港などの巨大公共工事も、昭和にスタートしたものです。平成は、これらの反省からスタートした時代と言えます。
平成3年に、はじめてのレッドデータブック(絶滅のおそれがある動植物のリスト)が発行された。その後何回か改定され、現在の評価ランクになった平成14年版と30年版を比較すると、鳥類では絶滅危惧ⅠA類が17種から23種に、絶滅危惧ⅠB類が25種から31種と増加している。
なかでも、シマアオジ②は準絶滅危惧から絶滅危惧ⅠA類にランクアップしている。シギ・チドリ類でも個体数の減少が指摘され、特にヘラシギ③は絶滅危惧ⅠB類からⅠA類にランクアップした。いずれもアジア地域で長距離を渡る渡り鳥で、アジアの経済成長が影響している可能性がある。
エネルギー革命による里山衰退
④絶滅危惧種が多く生息する里地
⑤里山のシンボルだったオオタカ 写真/戸塚学
昭和に端を発するエネルギー革命は、里地・里山の薪炭(しんたん)林の管理放棄を招きました。農地では機械化のための圃場(ほじょう)整備が行なわれ、水路は三面コンクリート張りに変わっていきました。同時に少子化が進み、平成17年には日本の人口が減少に転じました。
少子・高齢化は、里地・里山と呼ばれる人間の介入によって維持されてきた環境に対する人による働きかけを減少させ、里山環境の質の低下もたらしました。秋の七草であるキキョウやメダカなど、身近な生きものが絶滅危惧種になったことにおどろかされたのもこの頃です。草原を生息地とするチョウなどの昆虫にも絶滅危惧種が目立っています。里山の生態系の頂点に位置するオオタカ⑤やサシバなどの猛禽類も減少しています。昭和の開発に代わる新たな危機です。
平成3年のバブル崩壊と環境保護への潮流
平成に入って間もない平成3年にバブル経済が破綻し、社会は高度経済成長から、低成長で持続可能な社会を求める流れとなってきました。平成5年に、日本の環境政策の基本となる「環境基本法(※)」が施行されました。
環境基本法成立の背景には、前年に開催された地球サミットでのリオ宣言やその会議で成立した「生物多様性条約」などがあり、条文の中に「人類の存続の基盤である環境が将来にわたって維持されるように」との言葉が書かれています。将来の世代へ自然資源を渡していくという、まさに持続可能という考えがここにはあります。
国内では、平成9年に「環境影響評価法」が成立し、同年、愛・地球博の会場予定地でオオタカの営巣が見つかり、保護団体と博覧会協会の円卓会議の末、会場の変更が決まりました。生きものに配慮して国家規模のイベントが変更になった例とも言えます。最近では、東京オリンピックでカヌー・スラローム競技場が葛西臨海公園から変更されたのも、同様の流れと言えます。
昭和の時代に急激な成長を遂げた日本社会が、安定して持続可能な社会をめざす方向に転換し始めた時代が、平成だったと言えます。
※環境問題を解決するために作られた法律。国、地方自治体、事業者、国民の責務を明らかにするとともに、環境保全に関する施策の基本事項などを定めている。