岩手県の「(仮称)岩泉有芸風力発電事業」に係る対象事業実施区域及びその周辺における希少猛禽類の生息環境保全に関する緊急要望書

令和2年8月26日

経済産業大臣 梶山 弘志 殿

日本野鳥の会宮古支部
支部長 関川 實

日本野鳥の会北上支部
支部長 髙橋 知明

日本野鳥の会もりおか
代表 佐賀 耕太郎

公益財団法人日本野鳥の会
理事長 遠藤 孝一

岩手県の「(仮称)岩泉有芸風力発電事業」に係る対象事業実施区域及びその周辺における希少猛禽類の生息環境保全に関する緊急要望書

1. 要望内容
  1. 「(仮称)岩泉有芸風力発電所建設事業計画」の対象地域はイヌワシ・クマタカ等の希少猛禽類の重要な生息地です。対象事業については既に事業者によって環境影響評価準備書が公表されており、これに対しては令和2年7月13日付で岩手県知事意見が出されておりますが、現段階ではこの意見は公表されておりません。一方、同年7月21日には環境大臣意見が出されておりますが、そちらを拝見する限りでは対象事業計画における希少猛禽類の生息状況保全にとって有効性のある内容となっていないように見受けられます。従って当会は、対象事業の計画段階環境配慮書に対して、平成29年3月31日付けで公表された環境大臣意見のうち「2.(2) 鳥類に対する影響」の趣旨に立ち戻り、稀少猛禽類の生息環境への悪影響を可能な限り低減する観点に基づいて事業者への適正な指導助言を行って下さるよう強く要望します。
  2. イヌワシやクマタカ等の希少猛禽類が生息するには、広い地域の環境を保全していくことが必要です。しかし、岩手県内では既に多数の風力発電施設が稼働しており、これらにより希少猛禽類の繁殖適地や採餌適地がどんどん狭められている状態です。ここでさらに対象事業が稼働されることになれば、当該地域におけるイヌワシやクマタカ等の生息環境を大幅に縮小させることは必至です。当会は周囲の風力発電事業との累積的影響を低減する観点に基づき、対象事業自体のの全面的な見直しに向けた行政指導を事業者に対し、すみやかに行って下さるよう強く要望します。そのための具体策として、経済産業省内に累積的影響を多角的に評価するための専門家を交えた検討委員会を早急に設置し、そこで対象事業の内容の丁寧な検討を進めていただくよう強く要望します。
2.要望の背景
我が国ではイヌワシの生息数がおよそ400羽程度と推定されており、環境省による「レッドリスト2018」では絶滅危惧IB類に指定され、また、絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律において国内希少野生動植物種に指定されている鳥類です。なお、イヌワシは岩手県では80羽ほどが生息しています。
イヌワシの行動圏はしばしば風力発電施設の建設適地とも重なり合うため、これまでも岩手県内各地でイヌワシ生息地やその周辺地域で風力発電事業が計画され。そのうちの幾つかは現在すでに稼働もしています。その結果として、繁殖や採餌の適地が減少しており、イヌワシの生息環境が脅かされております。過去には釜石広域ウインドファームの稼働によるバードストライクも発生しており、このまま風力発電施設が増加すれば、それに伴うバードストライクの発生が増加する可能性があります。

  1. 希少猛禽類の生息環境の保全について
    岩手県の北上高地は特にイヌワシの生息密度が高く、1976年に岩泉町内の5か所のイヌワシ繁殖地が国の天然記念物に指定されています。それは起伏に富んだ風況の良いこの地域の随所に広がる牧野がイヌワシの狩り場となっており、山々を繋ぐ尾根や断崖などがイヌワシの繁殖適地となっているためです。このような地域での風力発電施設の建設と稼働は、イヌワシの生息に対して大きな脅威となります。実際に令和元年4月に稼働を開始した盛岡市の姫神ウインドファームにおいては、以前まで頻繁に観察されていたイヌワシの姿が現在では全く見られなくなりました。また、平成20年9月には釜石広域ウインドファームでは稼働から3年あまりで国内初のイヌワシのバードストライクが発生しております。このような過去の事例への反省に基づく改善策が何ら検討されないまま当該地域で風力発電事業が稼働するとしたら、イヌワシの生息に対する重要な阻害要因となることは必至です。対象事業地域周辺の3か所の繁殖地のうちの2か所は天然記念物に指定されています。従って当会は、対象事業の中止または計画の大幅な見直しを強く求めます。
  2. 事業者の作成した環境影響評価準備書の問題点について
    当該事業を計画した事業者により作成され、本年2月に公告・縦覧された環境影響評価準備書に関して、当会では事業者への「意見」の形でイヌワシ生息環境の保全に関わる多数の問題点を指摘しました。しかし、それらの問題点のほとんどは適正な検討が行われないままで令和2年6月に開催された岩手県環境影響評価技術審査会の検討に付され、その審議結果に基づく形で本年7月21日付けで公表された環境大臣意見の公表に至っております。このままの状態で最終的に当該事業が実行されれば、当該地域周辺のイヌワシの生息環境に甚大な影響が出る恐れがあるため、特に下記の2点について事業者をはじめとする関係者により迅速かつ適正な検討がなされることを強く求めます。
    1. イヌワシ等希少猛禽類の調査ステーションが少ない
      準備書によれば、69日間の調査期間内に総数106回のイヌワシの飛来が記録されています。その内で当該事業計画地内への飛来数は50回にのぼります。また飛翔高度の内訳は低(L)9回、中(M)31回、高(H)10回となり、風車のローターの高さでの飛翔が多いことから、バードストライクが発生することが懸念されます。さらに、飛来したイヌワシの個体識別より、3か所の繁殖地からの飛来であることも確認されています。
      しかし38か所の調査ステーションのうち、実際に調査が行われたのは平成29年に3か所、平成30年に8~9か所、平成31年~令和元年は3~4か所に留まっております。当該地域が山に囲まれた谷間で周辺が見渡しにくい地形にも関わらず、数少ない調査ステーションで生息調査が実施されていたわけであり、その結果として出されたイヌワシの飛来数の数値の信頼性は高くないと考えざるを得ません。この地域へのイヌワシの飛来数に関しては、令和2年6月の岩手県環境影響技術審査会議事録によれば、審査委員長でイヌワシの専門家でもある由井正敏氏が『計画地内飛来数50回(調査時間8h)を年間に換算(調査時間12h)すると飛来数は397回になる。このような場所に風車を立てることは常識的にあり得ず、種の保存法第34条、及び文化財保護法第128条(B、Dペアは地域指定)にも違反する』との厳しい指摘をしています。また、別の審査委員からは『準備書で事業者が提示したバードストライクの予測確率(0.05/年)の値はイヌワシの生息にはかなりの脅威となる』との意見も出されています。複数の審査委員によるこのような指摘はいずれも、当該事業計画の実施に伴ってイヌワシのバードストライク事故の可能性が高まることへの危惧に基づくと思われますが、環境大臣意見には反映されておりません。
    2. 事業実施によるイヌワシの餌の減少予測が低い
      岩手県内のイヌワシの繁殖率は近年になって極端に低化しており、専門家によればその主な原因は餌不足とされています。当該地域のイヌワシの主要な餌はノウサギ、ヤマドリ、蛇類などですが、実際に今回の準備書で飛来数が最も多かったとされる当該計画地南側の繁殖地でも育雛後期にヒナが餓死した事例が過去に発生しています。また、イヌワシがカモメ類を狙って宮古湾に定期的に飛来したり、オシドリやオオハクチョウを襲うなどこれまでに見られなかった事例が近年は多く観察されるようになり、岩手県内のイヌワシの餌不足がかなり深刻になっていることが覗えます。しかし、準備書では当該事業が実施されてもイヌワシの餌資源が減らないと記されています。この分析はあいまいな餌調査をもとに結論づけられているようですが、当該地域の谷合いにある中洞牧場から南北に広がる牧野の尾根上の森林を東西30haにわたって植生を伐採して風車を建てる当該計画が実施されれば狩場は大幅に縮小し、それに伴ってイヌワシの餌不足も一層深刻化すると予想されます。当該事業が餌不足を引き起こす可能性を過小評価しようとする事業者側の姿勢は、イヌワシの生息環境保護の観点から容認できるものではありません。
  3. 今年7月21日の環境大臣意見におけるイヌワシ生息環境保全に関わる生育阻害要因の予測とその予防的対策の検討という視点の欠落について
    岩手県は岩手県環境基本計画の中で生物多様性を重視する方向性を示しており、地域多様性地域戦略の中で具体的にイヌワシやクマタカなどの生息環境の保全についても取り組んでおります。特に希少猛禽類の生息については配慮書に対する岩手県知事意見と環境大臣意見(平成29年3月31日付)には『イヌワシの生息が確認されていることから、・・・・・鳥類に関する適切な調査、予測及び評価を行い、イヌワシの行動圏に関する情報(餌場等の利用状況等)を明らかにするとともに、その結果を踏まえ風力発電施設等の配置等を検討する』と記載されており、配慮書以後の計画段階で事業者側に対して『適切な調査、予測、及び評価』を行うことを求めております。しかしその後事業者側の作成した準備書では「イヌワシの行動圏に関する適切な調査、予測、及び評価」等の予防的保護措置の検討が不十分なままであり、配慮書段階での岩手県知事意見や環境大臣意見の趣旨を的確に反映させているようには見受けられません。これに関しては、岩手県環境影響評価技術審査会においても複数の審査委員から全く同様の指摘がなされていたことが公表された議事録に記載されております。しかるに、今年7月21日付の環境大臣意見には、希少猛禽類の生息環境に関わる環境悪化要因の予測とその対策の検討に関する記述が欠落しており、当該事業の稼働後に問題が生じた場合の対策に力点が移っている点で明白な後退が見られます。稀少猛禽類が生息していることを過小評価することは生物多様性の維持を是とする社会全体の動向に沿うものではなく、岩手県内のイヌワシの生息環境の保全を求める従来までの岩手県知事意見や平成29年3月31日付けの環境大臣意見の趣旨にも反していると言わざるを得ません。従って当会では、まずはこれらの点を含めて稀少猛禽類の生息状況の調査結果を精査し、その結果を踏まえて希少猛禽類の生息環境を損なわないよう十分に配慮する方向で対象事業の計画を全面的に見直すことを強く求めます。
  4. 当該地域のイヌワシの生息環境保全に関する今年7月21日の環境大臣意見における事実誤認について
    事業者の準備書に対する環境大臣意見の中には、イヌワシの生息環境の把握に関して重大な不備が随所に見られます。たとえば、意見書には「対象事業実施区域およびその周辺は・・・・イヌワシの非繁殖期を中心とした餌場になっている」と記載されています。しかし(1)にも記述したように、この地域の近傍には複数つがいのイヌワシの繁殖地があり、私どもの調査結果では当該地域は年間を通じて広範囲かつ高頻度でイヌワシの活動が観察されております。従って環境大臣意見が当該地域を「非繁殖期を中心とした餌場」と限定しているのは事実誤認と言わざるを得ません。また、意見書には「バードストライクの有無、およびイヌワシ・クマタカの飛翔経路の変更に係る事後調査を適切に実施」との記載もありますが、風力発電施設の建設によるバードストライクの発生事例および希少猛禽類の生息状況の悪化に係る事後調査について、日本国内における過去の事例は既に数多く存在しますが、有効な対策は確立されておりません。さらに、「バードストライク等、重要な鳥類に対する重大な影響が認められた場合は、・・・稼働調整等を含めた追加的な環境保全措置を講ずる」とも述べられておりますが、稼働設備数・稼働時期・稼働時間の制限等の『稼働調整』はあくまでも事前の生息状況調査結果から導かれる予測に基づく予防的な保護措置であり、それでもイヌワシの生息環境保護が脅かされる事象が発生した段階において取るべき措置は『稼働停止』以外にはないはずです。
  5. 鳥類の詳細かつ包括的鳥類生息調査の実施とその調査結果の当該事業計画への反映について
    イヌワシの年間予測衝突数に関する予測の妥当性は、対象事業が当該地域のイヌワシの生息環境にどのような影響を与えるかを評価する上で重要な要因の一つですが、事業者の作成した準備書の中ではその部分の記述が極めて不足しており、バードストライクの可能性等についても科学的根拠が明白ではない楽観的な数字が示されているに過ぎません。対象事業の計画地におけるイヌワシの生息密度の高さは、その下地となる豊かな生態系に支えられているものです。従って、イヌワシの生息環境維持のためには当該地域における自然環境の総合的な把握とその保全が欠かせません。多くの野鳥は夜間にも活発に行動しており、渡りも日中のみならず夜間にも行います。また、風力発電施設が完成すれば24時間体制で風車が稼働するにもかかわらず、事業者により実施された環境影響評価の調査方法は必ずしも十分なものではなかったと推察されます。岩手県環境影響評価技術審査会の議事録でも複数の審査委員からこの点について強い指摘があったようですが、そのような指摘も7月21日付けの環境大臣意見には全く反映されておりません。当会は対象事業の計画地とその周辺地域での詳細かつ包括的な一般鳥類生息調査の実施、およびそれにより得られる結果を適切に評価した上で当該地区における生態系の保全の観点から対象事業計画の抜本的見直しを行うよう強く求めます。
  6. 当該事業の計画全般における自然環境保全と防災の視点の欠落について
    対象事業における方法書の段階で24基であった風車の設置基数を準備書では12基に減らし、その代わりに風車を大型にして1基あたりの発電量を増やす形に変更されております。その結果として風力発電施設の高さが山の尾根から178メートルも突出することとなり、このままでは中程度の飛行高度を利用して山の稜線を飛び越えて移動するイヌワシなどの大型猛禽類でバードストライクが生じる可能性が高まります。風力発電施設を尾根に沿って列状に設置すると、上昇気流等を利用して生息している多くの野鳥の行動範囲を狭め、特に猛禽類が餌場や繁殖地を確保する上での障害となる可能性が高まります。さらに、工事に伴って排出される残土の処理、および施設稼働後の土砂流出への対処等は、それらが土砂災害や河川の汚濁の原因となりうるにも関わらず、事業者側の作成した準備書からは事前に適切な環境保全対策を講ずる姿勢が伺えません。特に最近は気候変動の影響によるゲリラ豪雨の被害が全国的に頻発しております。当該事業の計画地も平成28年の台風10号と令和元年の台風19号の被災地ですが、この地域においてその後の災害予防対策が万全になされているとは言えません。当該事業の計画地の面積は1315.2haと広範囲に及ぶことから、事業計画自体も台風10号の峠の神山の357ミリ総降水量を想定したものでなければ、地元住民の安心と理解は得られません。実際に同様の指摘が岩手県環境影響評価技術審査会において複数の審査委員から指摘されています。しかし、7月21日付の環境大臣意見では自然環境保全や防災のための予防的措置を求める方向性は示されずに、当該事業の稼働後に問題が生じた場合の「事後調査」に限定する内容となっており、環境保全対策に消極的な事業者の姿勢を追認する形となっております。仮にこのまま当該事業の計画が実施され、風力発電施設の稼働が開始されると、それに伴い当該地域周辺の環境汚染や山林・河川災害の発生も危惧されます。従って当会は単に野鳥保護に留まらず環境保全や防災の立場からも今回の準備書に記載されている施設の規模や配置等の計画全般の大幅縮小を基本とする見直しを強く求める次第です。
  7. 風力発電事業計画の累積的影響を正しく評価するための専門家を交えた検討委員会の経済産業省内への設置について
    既に岩手県の北上高地ではグリーンパワー葛巻風力発電所・釜石広域ウインドファームなど多数の風力発電施設が稼働しております。さらにその外縁部には姫神ウインドファーム・高森高原ウインドパークなども稼働中であり、(仮称)折爪岳南(第1期)風力発電事業の建設が予定されています。また対象地域とその周辺地域に限っても、当該事業の計画以外に(仮称)宮古岩泉風力発電事業、(仮称)田野畑岩泉風力発電事業などの計画が進行しており、県南部でもイヌワシの生息地において複数の事業計画が進行しています。このまま風力発電施設が当該地域周辺に林立する状況となれば、稀少猛禽類の生息環境に及ぼす影響は計り知れないものとなり、特にイヌワシの狩場の減少は生息個体数そのものの減少に直結します。従って、このような事態を回避するためには、風力発電施設の計画立案にあたって個別の事業計画区域の枠を超えて累積的影響を正しく評価する体制が必要となります。しかし、現状では複数の風力発電事業者が相互に情報を共有し合うこともなく個別に事業計画とその基礎となる環境影響調査等を進めており、その事業計画の審査や許認可についても経済産業大臣が個別に行っているのが現状です。このような状況を改め、岩手県内の稀少猛禽類の生息環境の包括的な保全を図るために、当会としては経済産業省内に風力発電関連の専門家等による検討委員会を設置し、その委員会を累積的影響の予想される複数の風力発電事業者、複数の鳥類保護団体、県と市町村レベルの行政関係者、鳥類学を含む複数の関連分野の学識経験者、経済産業省と環境省の担当事務官などで構成することにより提案されている事業計画と既存の風力発電施設、あるいは同時進行で行われている複数の事業計画を多角的・総合的な視点から精査するよう強く要望します。そして、その委員会の検討結果を十分に反映する形で経済産業大臣勧告を作成し公表していただくよう経済産業大臣に強く要望します。

私ども日本野鳥の会は、今後の日本のエネルギー資源として風力や太陽光等の自然エネルギーを積極的に利用する方針について基本的に賛成しております。しかし、それらの設置や運用が貴重な自然環境に悪影響を及ぼすことが予測される場合には、その影響を可能な限り回避・低減する方向で発電設備の配置や施設の形態・稼働期間等を見直すべきであり、それが困難と判断される場合には事業の中止や事業予定地域の変更を検討するべきであると考えております。



令和2年8月26日

環境大臣 小泉進次郎 殿

日本野鳥の会宮古支部
支部長 関川 實

日本野鳥の会北上支部
支部長 髙橋 知明

日本野鳥の会もりおか
代表 佐賀 耕太郎

公益財団法人日本野鳥の会
理事長 遠藤 孝一

岩手県の「(仮称)岩泉有芸風力発電事業」に係る対象事業実施区域及びその周辺における希少猛禽類の生息環境保全に関する緊急要望書

日頃より、日本野鳥の会の自然保護活動にご理解とご協力を賜り、深く感謝申し上げます。
さて、岩手県岩泉町南部の有芸地区に計画されている(仮称)岩泉有芸風力発電事業(以下、対象事業という)に関して、風力発電施設の建設予定地やその周辺地域(以下、当該地域という)に生息する希少猛禽類の生息環境を保全するため、日本野鳥の会は下記の点について強く要望いたします。

1. 要望内容
  1. 「(仮称)岩泉有芸風力発電所建設事業計画」の対象地域はイヌワシ・クマタカ等の希少猛禽類の重要生息地です。対象事業については既に事業者によって環境影響評価準備書が公表されており、これに対しては令和2年7月13日付で岩手県知事意見が出されておりますが、現段階ではこの意見は公表されておりません。一方、同年7月21日には環境大臣意見が出されておりますが、そちらを拝見する限りでは対象事業計画における希少猛禽類の生息状況保全にとって有効性のある内容となっていないように見受けられます。従って当会は、対象事業の計画段階環境配慮書に対して、平成29年3月31日付けで公表された環境大臣意見のうち「2.(2) 鳥類に対する影響」の趣旨に立ち戻り、稀少猛禽類の生息環境への悪影響を可能な限り低減する観点に基づいて事業者への適正な指導助言を行って下さるよう強く要望します。
  2. イヌワシやクマタカ等の希少猛禽類が生息するには、広い地域の環境を保全していくことが必要です。しかし、岩手県内では既に多数の風力発電施設が稼働しており、これらにより希少猛禽類の繁殖適地や採餌適地がどんどん狭められている状態です。ここでさらに対象事業が稼働されることになれば、当該地域におけるイヌワシやクマタカ等の生息環境を大幅に縮小させることは必至です。当会は周囲の風力発電事業との累積的影響を低減する観点に基づき、対象事業自体のの全面的な見直しに向けた行政指導を事業者に対し、すみやかに行って下さるよう強く要望します。そのための具体策として、環境省内に累積的影響を多角的に評価するための専門家を交えた検討委員会を早急に設置し、そこで対象事業の内容の丁寧な検討を進めていただくよう強く要望します。
2.要望の背景
我が国ではイヌワシの生息数がおよそ400羽程度と推定されており、環境省による「レッドリスト2018」では絶滅危惧IB類に指定され、また、絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律において国内希少野生動植物種に指定されている鳥類です。なお、イヌワシは岩手県では80羽ほどが生息しています。
イヌワシの行動圏はしばしば風力発電施設の建設適地とも重なり合うため、これまでも岩手県内各地でイヌワシ生息地やその周辺地域で風力発電事業が計画され、そのうちの幾つかは現在すでに稼働もしています。その結果として、繁殖や採餌の適地が減少しており、イヌワシの生息環境が脅かされております。過去には釜石広域ウインドファームの稼働によるバードストライクも発生しており、このまま風力発電施設が増加すれば、それに伴うバードストライクの発生が増加する可能性があります。
  1. 希少猛禽類の生息環境の保全について
    岩手県の北上高地は特にイヌワシの生息密度が高く、1976年に岩泉町内の5か所のイヌワシ繁殖地が国の天然記念物に指定されています。それは起伏に富んだ風況の良いこの地域の随所に広がる牧野がイヌワシの狩り場となっており、山々を繋ぐ尾根や断崖などがイヌワシの繁殖適地となっているためです。このような地域での風力発電施設の建設と稼働は、イヌワシの生息に対して大きな脅威となります。実際に令和元年4月に稼働を開始した盛岡市の姫神ウインドファームにおいては、以前まで頻繁に観察されていたイヌワシの姿が現在では全く見られなくなりました。また、平成20年9月には釜石広域ウインドファームでは稼働から3年あまりで国内初のイヌワシのバードストライクが発生しております。このような過去の事例への反省に基づく改善策が何ら検討されないまま当該地域で風力発電事業が稼働するとしたら、イヌワシの生息に対する重要な阻害要因となることは必至です。対象事業地域周辺の3か所の繁殖地のうちの2か所は天然記念物に指定されています。従って当会は、対象事業の中止または計画の大幅な見直しを強く求めます。
  2. 事業者の作成した環境影響評価準備書の問題点について
    当該事業を計画した事業者により作成され、本年2月に公告・縦覧された環境影響評価準備書に関して、当会では事業者への「意見」の形でイヌワシ生息環境の保全に関わる多数の問題点を指摘しました。しかし、それらの問題点のほとんどは適正な検討が行われないままで令和2年6月に開催された岩手県環境影響評価技術審査会の検討に付され、その審議結果に基づく形で本年7月21日付けで公表された環境大臣意見の公表に至っております。このままの状態で最終的に当該事業が実行されれば、当該地域周辺のイヌワシの生息環境に甚大な影響が出る恐れがあるため、特に下記の2点について事業者をはじめとする関係者により迅速かつ適正な検討がなされることを強く求めます。
    1. イヌワシ等希少猛禽類の調査ステーションが少ない
      準備書によれば、69日間の調査期間内に総数106回のイヌワシの飛来が記録されています。その内で当該事業計画地内への飛来数は50回にのぼります。また飛翔高度の内訳は低(L)9回、中(M)31回、高(H)10回となり、風車のローターの高さでの飛翔が多いことから、バードストライクが発生することが懸念されます。さらに、飛来したイヌワシの個体識別より、3か所の繁殖地からの飛来であることも確認されています。
      しかし38か所の調査ステーションのうち、実際に調査が行われたのは平成29年に3か所、平成30年に8~9か所、平成31年~令和元年は3~4か所に留まっております。当該地域が山に囲まれた谷間で周辺が見渡しにくい地形にも関わらず、数少ない調査ステーションで生息調査が実施されていたわけであり、その結果として出されたイヌワシの飛来数の数値の信頼性は高くないと考えざるを得ません。この地域へのイヌワシの飛来数に関しては、令和2年6月の岩手県環境影響技術審査会議事録によれば、審査委員長でイヌワシの専門家でもある由井正敏氏が『計画地内飛来数50回(調査時間8h)を年間に換算(調査時間12h)すると飛来数は397回になる。このような場所に風車を立てることは常識的にあり得ず、種の保存法第34条、及び文化財保護法第128条(B、Dペアは地域指定)にも違反する』との厳しい指摘をしています。また、別の審査委員からは『準備書で事業者が提示したバードストライクの予測確率(0.05/年)の値はイヌワシの生息にはかなりの脅威となる』との意見も出されています。複数の審査委員によるこのような指摘はいずれも、当該事業計画の実施に伴ってイヌワシのバードストライク事故の可能性が高まることへの危惧に基づくと思われますが、環境大臣意見には反映されておりません。
    2. 事業実施によるイヌワシの餌の減少予測が低い
      岩手県内のイヌワシの繁殖率は近年になって極端に低化しており、専門家によればその主な原因は餌不足とされています。当該地域のイヌワシの主要な餌はノウサギ、ヤマドリ、蛇類などですが、実際に今回の準備書で飛来数が最も多かったとされる当該計画地南側の繁殖地でも育雛後期にヒナが餓死した事例が過去に発生しています。また、イヌワシがカモメ類を狙って宮古湾に定期的に飛来したり、オシドリやオオハクチョウを襲うなどこれまでに見られなかった事例が近年は多く観察されるようになり、岩手県内のイヌワシの餌不足がかなり深刻になっていることが覗えます。しかし、準備書では当該事業が実施されてもイヌワシの餌資源が減らないと記されています。この分析はあいまいな餌調査をもとに結論づけられているようですが、当該地域の谷合いにある中洞牧場から南北に広がる牧野の尾根上の森林を東西30haにわたって植生を伐採して風車を建てる当該計画が実施されれば狩場は大幅に縮小し、それに伴ってイヌワシの餌不足も一層深刻化すると予想されます。当該事業が餌不足を引き起こす可能性を過小評価しようとする事業者側の姿勢は、イヌワシの生息環境保護の観点から容認できるものではありません。
  3. 今年7月21日の環境大臣意見におけるイヌワシ生息環境保全に関わる生育阻害要因の予測とその予防的対策の検討という視点の欠落について
    岩手県は岩手県環境基本計画の中で生物多様性を重視する方向性を示しており、地域多様性地域戦略の中で具体的にイヌワシやクマタカなどの生息環境の保全についても取り組んでおります。特に希少猛禽類の生息については配慮書に対する岩手県知事意見と環境大臣意見(平成29年3月31日付)には『イヌワシの生息が確認されていることから、・・・・・鳥類に関する適切な調査、予測及び評価を行い、イヌワシの行動圏に関する情報(餌場等の利用状況等)を明らかにするとともに、その結果を踏まえ風力発電施設等の配置等を検討する』と記載されており、配慮書以後の計画段階で事業者側に対して『適切な調査、予測、及び評価』を行うことを求めております。しかしその後事業者側の作成した準備書では「イヌワシの行動圏に関する適切な調査、予測、及び評価」等の予防的保護措置の検討が不十分なままであり、配慮書段階での岩手県知事意見や環境大臣意見の趣旨を的確に反映させているようには見受けられません。これに関しては、岩手県環境影響評価技術審査会においても複数の審査委員から全く同様の指摘がなされていたことが、公表された議事録に記載されております。しかるに、今年7月21日付の環境大臣意見には、希少猛禽類の生息環境に関わる環境悪化要因の予測とその対策の検討に関する記述が欠落しており、当該事業の稼働後に問題が生じた場合の対策に力点が移っている点で明白な後退が見られます。稀少猛禽類が生息していることを過小評価することは、生物多様性の維持を是とする社会全体の動向に沿うものではなく、岩手県内のイヌワシの生息環境の保全を求める従来までの岩手県知事意見や平成29年3月31日付けの環境大臣意見の趣旨にも反していると言わざるを得ません。従って当会では、まずはこれらの点を含めて稀少猛禽類の生息状況の調査結果を精査し、その結果を踏まえて希少猛禽類の生息環境を損なわないよう十分に配慮する方向で対象事業の計画を全面的に見直すことを強く求めます。
  4. 当該地域のイヌワシの生息環境保全に関する今年7月21日の環境大臣意見における事実誤認について
    事業者の準備書に対する環境大臣意見の中には、イヌワシの生息環境の把握に関して重大な不備が随所に見られます。たとえば、意見書には「対象事業実施区域およびその周辺は・・・・イヌワシの非繁殖期を中心とした餌場になっている」と記載されています。しかし(1)にも記述したように、この地域の近傍には複数つがいのイヌワシの繁殖地があり、私どもの調査結果では当該地域は年間を通じて広範囲かつ高頻度でイヌワシの活動が観察されております。従って環境大臣意見が当該地域を「非繁殖期を中心とした餌場」と限定しているのは事実誤認と言わざるを得ません。また、意見書には「バードストライクの有無、およびイヌワシ・クマタカの飛翔経路の変更に係る事後調査を適切に実施」との記載もありますが、風力発電施設の建設によるバードストライクの発生事例および希少猛禽類の生息状況の悪化に係る事後調査について、日本国内における過去の事例は既に数多く存在しますが、有効な対策は確立されておりません。さらに、「バードストライク等、重要な鳥類に対する重大な影響が認められた場合は、・・・稼働調整等を含めた追加的な環境保全措置を講ずる」とも述べられておりますが、稼働設備数・稼働時期・稼働時間の制限等の『稼働調整』はあくまでも事前の生息状況調査結果から導かれる予測に基づく予防的な保護措置であり、それでもイヌワシの生息環境保護が脅かされる事象が発生した段階において取るべき措置は『稼働停止』以外にはないはずです。
  5. 鳥類の詳細かつ包括的鳥類生息調査の実施とその調査結果の当該事業計画への反映について
    イヌワシの年間予測衝突数に関する予測の妥当性は、対象事業が当該地域のイヌワシの生息環境にどのような影響を与えるかを評価する上で重要な要因の一つですが、事業者の作成した準備書の中ではその部分の記述が極めて不足しており、バードストライクの可能性等についても科学的根拠が明白ではない楽観的な数字が示されているに過ぎません。対象事業の計画地におけるイヌワシの生息密度の高さは、その下地となる豊かな生態系に支えられているものです。従って、イヌワシの生息環境維持のためには当該地域における自然環境の総合的な把握とその保全が欠かせません。多くの野鳥は夜間にも活発に行動しており、渡りも日中のみならず夜間にも行います。また、風力発電施設が完成すれば24時間体制で風車が稼働するにもかかわらず、事業者により実施された環境影響評価の調査方法は必ずしも十分なものではなかったと推察されます。岩手県環境影響評価技術審査会の議事録でも複数の審査委員からこの点について強い指摘があったようですが、そのような指摘も7月21日付けの環境大臣意見には全く反映されておりません。当会は対象事業の計画地とその周辺地域での詳細かつ包括的な一般鳥類生息調査の実施、およびそれにより得られる結果を適切に評価した上で当該地区における生態系の保全の観点から対象事業計画の抜本的見直しを行うよう強く求めます。
  6. 当該事業の計画全般における自然環境保全と防災の視点の欠落について
     対象事業における方法書の段階で24基であった風車の設置基数を準備書では12基に減らし、その代わりに風車を大型にして1基あたりの発電量を増やす形に変更されております。その結果として風力発電施設の高さが山の尾根から178メートルも突出することとなり、このままでは中程度の飛行高度を利用して山の稜線を飛び越えて移動するイヌワシなどの大型猛禽類でバードストライクが生じる可能性が高まります。風力発電施設を尾根に沿って列状に設置すると、上昇気流等を利用して生息している多くの野鳥の行動範囲を狭め、特に猛禽類が餌場や繁殖地を確保する上での障害となる可能性が高まります。さらに、工事に伴って排出される残土の処理、および施設稼働後の土砂流出への対処等は、それらが土砂災害や河川の汚濁の原因となりうるにも関わらず、事業者側の作成した準備書からは事前に適切な環境保全対策を講ずる姿勢が伺えません。特に最近は気候変動の影響によるゲリラ豪雨の被害が全国的に頻発しております。当該事業の計画地も平成28年の台風10号と令和元年の台風19号の被災地ですが、この地域においてその後の災害予防対策が万全になされているとは言えません。当該事業の計画地の面積は1315。2haと広範囲に及ぶことから、事業計画自体も台風10号の峠の神山の357ミリ総降水量を想定したものでなければ、地元住民の安心と理解は得られません。実際に同様の指摘が岩手県環境影響評価技術審査会において複数の審査委員から指摘されています。しかし、7月21日付の環境大臣意見では自然環境保全や防災のための予防的措置を求める方向性は示されずに、当該事業の稼働後に問題が生じた場合の「事後調査」に限定する内容となっており、環境保全対策に消極的な事業者の姿勢を追認する形となっております。仮にこのまま当該事業の計画が実施され、風力発電施設の稼働が開始されると、それに伴い当該地域周辺の環境汚染や山林・河川災害の発生も危惧されます。従って当会は単に野鳥保護に留まらず環境保全や防災の立場からも今回の準備書に記載されている施設の規模や配置等の計画全般の大幅縮小を基本とする見直しを強く求める次第です。
  7. 風力発電事業計画の累積的影響を正しく評価するための専門家を交えた検討委員会の環境省内への設置について
    既に岩手県の北上高地ではグリーンパワー葛巻風力発電所・釜石広域ウインドファームなど多数の風力発電施設が稼働しております。さらにその外縁部には姫神ウインドファーム・高森高原ウインドパークなども稼働中であり、(仮称)折爪岳南(第1期)風力発電事業の建設が予定されています。また対象地域とその周辺地域に限っても、当該事業の計画以外に(仮称)宮古岩泉風力発電事業、(仮称)田野畑岩泉風力発電事業などの計画が進行しており、県南部でもイヌワシの生息地において複数の事業計画が進行しています。このまま風力発電施設が当該地域周辺に林立する状況となれば、稀少猛禽類の生息環境に及ぼす影響は計り知れないものとなり、特にイヌワシの狩場の減少は生息個体数そのものの減少に直結します。従って、このような事態を回避するためには、風力発電施設の計画立案にあたって個別の事業計画区域の枠を超えて累積的影響を正しく評価する体制が必要となります。しかし、現状では複数の風力発電事業者が相互に情報を共有し合うこともなく個別に事業計画とその基礎となる環境影響調査を進めており、その事業計画の審査や許認可についても経済産業大臣が個別に行っているのが現状です。このような状況を改め、岩手県内の稀少猛禽類の生息環境の包括的な保全を図るために、当会としては環境省内に風力発電関連の専門家等による検討委員会を設置し、その委員会を累積的影響の予想される複数の風力発電事業者、複数の鳥類保護団体、県と市町村レベルの行政関係者、鳥類学を含む複数の関連分野の学識経験者、環境省と経済産業省の担当事務官などで構成することにより提案されている事業計画と既存の風力発電施設、あるいは同時進行で行われている複数の事業計画を多角的・総合的な視点から精査するよう強く要望します。そして、その委員会の検討結果を十分に反映する形で経済産業大臣勧告を作成し公表していただくよう経済産業大臣に強く要望します。

私ども日本野鳥の会は、今後の日本のエネルギー資源として風力や太陽光等の自然エネルギーを積極的に利用する方針について基本的に賛成しております。しかし、それらの設置や運用が貴重な自然環境に悪影響を及ぼすことが予測される場合には、その影響を可能な限り回避・低減する方向で発電設備の配置や施設の形態・稼働期間等を見直すべきであり、それが困難と判断される場合には事業の中止や事業予定地域の変更を検討するべきであると考えております。そして今回はイヌワシ保護の立場から事業者であるSGET岩泉ウインドファーム合同会社に対して上記の7項目に基づき対象事業計画を中止して計画自体を抜本的に見直すよう求めるとともに、経済産業省・環境省・岩手県にはイヌワシ生息環境保全の観点に基づき事業者に対して強力に行政指導を行って頂くよう要望する次第です。