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チュウヒの過去・現状・未来
チュウヒは、本州では主に干拓地や大きな川の河口部、湖沼岸に広がるヨシ原で繁殖し、北海道では河川以外にも、湿地や草原で繁殖します。国内では現在、チュウヒは局所的に繁殖しているのみで、環境省による推定では繁殖個体数が90つがいと非常に数が少ない鳥です。
平安時代には「つぶり」または「つふり」として、チュウヒと推測される鳥の記録があり、江戸時代からは「ちうひ」として、確実に存在が記録されています。当時の資料からは繁殖していたかどうかは分かりませんが、日本には古くからチュウヒがいたことは確かなようです。
大正14年に書かれた図鑑では、チュウヒは日本では数が少なからざる鳥であると述べられています。この時点でも、繁殖か越冬か、または留鳥のことなのかは分かりません。昭和15年の図鑑では、チュウヒは北海道で繁殖または越冬し、本州は皆、越冬地であると述べられています。
このように、戦前の記録があまりないため、特に本州では、昔はどのくらいのチュウヒが繁殖していたのかは分かりませんが、まだ多くの湿地が残っていた北海道では、昔はチュウヒが多く繁殖していたと言えそうです。
戦前の日本では、大きな河川の河口にはヨシ原が発達し、湿地の面積は今よりも大きく、数も多かったのですが、チュウヒが生活しているような湿地は人の役には立たず、平坦で開発しやすい土地として、戦後は埋め立ての対象となっていきました。また、河川敷のヨシ原も、運動公園などに利用するために改変されていきました。そのため戦後は、本州で繁殖するチュウヒの多くは干拓地でみられるようになりましたが、それは、原生の湿地環境が減ったために、代替地として干拓地を利用するようになったのではないのかと考えられます。
現在知られているチュウヒの主な繁殖地(2018年現在)
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かつてチュウヒが繁殖していた山口県の阿知須干拓地では、スポーツ公園の整備などにより繁殖地が失われ、現在は繁殖がみられなくなりました。
三重県では、2006年より木曽岬干拓地の環境整備事業がはじまりました。それにともない、チュウヒの採餌場所が減少するため、代償措置として約50haの保全区を設け、チュウヒ3つがいの繁殖を目指していました。しかし、400ヘクタール以上で3つがいが繁殖していたのを、わずか50haの保全区と環境整備事業の対象外の土地だけでは、今までと同じよう繁殖ができず、結局はチュウヒは繁殖しなくなってしまいました。
また、青森県の仏沼は干拓地ですが、かつて5つがいほどのチュウヒが繁殖し、本州ではチュウヒにとってかなり好適な繁殖環境でした。しかし、近年の水分管理の不手際により乾燥化が進む場所が発生したり、逆に営巣環境が水没するなどして、現在はチュウヒが繁殖できなくなってしまいました。
そして、大正時代はチュウヒは日本では少なからざる鳥でしたが、その主な繁殖地であったと考えられる北海道では、湿地の面積が開発行為により、大正時代と比べて60%が失われ、その分だけチュウヒの繁殖地も減少したと考えます。
一方、福岡・北九州では2004年、大阪・堺では2006年、岡山・瀬戸内では2012年になってチュウヒの繁殖が確認されるなど、新たに生まれる繁殖地もわずかながらありました。
しかし、チュウヒは常に開発の危機にさらされやすい環境に生息していることには変わりはなく、結局は木曽岬干拓地に続き堺と瀬戸内でも大規模太陽光発電施設(メガソーラー)の開発により、チュウヒは繁殖できなくなりました。このようなことが積み重なり、最近は本州だけをみてもチュウヒの繁殖数は2000~2010年頃の最盛期の半分程度になったのではないかと推測します。人間による開発行為の前では、チュウヒにとっては決して明るい未来が待っているわけではなさそうです。
このように、チュウヒの現状をみてみると、私たちが常に留意していなければ、今よりも繁殖個体数を減少させてしまう可能性があります。今後はチュウヒの繁殖地でいろいろな調査を行ない、チュウヒが健全に繁殖していくためには、どのような環境や条件が必要なのか知ることが重要になるでしょう。
勇払原野を舞うチュウヒ。いつまでもこんな環境を守っていきたい。